濃い〜!!TGのインストラクター研修終わりました。今回はNYからの参加者2名、オーストラリアから1名、新潟から1名を含め、みんな遠隔からはるばる。当の講師嶋崎さん親子も福井から参加ですしね。非常に地方色豊かでした。
もともと経営になんてまったく向かない私が経営を始めちゃったお陰で、あまりに悩みが多くて、こういうツールを学ぶきっかけになるわけですけど、いやいや。内容深かったです。なんていうのか、小手先の経営知識じゃなくって、TGで学ぶことは人生の縮図。それに、今回またメンバーが凄かった。研修終わった後も朝まで討論会。(平たく言えば飲み会) 今回の日本は人生考え直す機会だらけって感じです。
TGの教えの中で1番大切(だとわたしが思う)のは時間の流れの観念。経営の中で、いや、多分だけど、人生の中で、どの次元に注目しているか( 過去、現在、未来 ) 何に執着し(過去) 何に不安を抱いているのか(未来)によって、今現在の判断基準や行動基準が大きく左右されていて、そしてその今、現在とっている行動が全ての成功や失敗を決めてるってこと。
今日はこの「執着」にかんして書いてみようかな〜って思う。っていうのも私はなぜか不安というものをあまり感じない。いや感じてるのかもだけど気にしてないのか、全く気づいてないので、あんまり感じてないんですけど執着にかんしては、もういい加減にして欲しいと思うほど感じるので、そっちの方が語り安い。
そして、そんな性質もはっきりゲームに出てきます。ま、ゲームを体験して頂かないとなかなか伝わりにくいと思いますが、たいてい私が財産を減らすパターンは、過去に持っていた地位、スタッフ、自社の価値などを取り戻そうと努力するあまり基本的な売り買いを疎かにしてしまう。。。というパターンです。
執着は人間が本質的に生まれて持ったもので、何世代も人間やって、ニルバーナ(涅槃)に至るまで繰り返すわけだから、そう簡単に解き放つ事が出来なくて当然なんだけど、でもこれって本当にややこしい。
執着する事柄は人によって本当に違うから、何とも言えないけど、私の場合はモノに対する執着はかなり克服出来てるけど、人に対して、或いは楽しさや嬉しさに関する執着はなかなか捨てる事が出来ない。
初めてヴィパッサナー(10日の沈黙瞑想)に行った時、生まれて初めて、楽しい事に執着するがゆえの苦しみという概念を学んだのですが、私的には目からウロコでした。楽しい時を愉しむことは何も悪いことではない。でもその楽しさが去った時、或いは去ろうとしている時に、それを行かないで欲しいと願った時点で執着となり、また苦しみを生む。
いやね。そう思い初めると、こっちの方がよっぽどややこしい。だって嫌な想い出は本能的に忘れようとするけど良い想いではとって置きたいよねえぇ、、!
あー取って置くのはいいのかも。でもそれがふたたび起こらない事にガッカリしたり、切なくなっちゃったりする。やっぱり人間って大変だとしみじみ思います。
こういう話をするといつも思い出す去年の夏のこと。年老いて一人暮らしをしている父に、犬か猫でも飼えば?って言った時に「いやね。猫も犬も飼ってもどうせ死んじゃうから、嫌なんだよ」と言った父と大討論会した日を想い出す。
当時ブログメンバーであり、大親友だった朝子ちゃんが亡くなった直後で、彼女とはほんと3年だけだったけど一生忘れない何にも変えられない時を過ごしたから、そんときの父の何気無い意見に大反論したの憶えてる。
なんかTGの話に全然戻ってませんが、愉しい事、心奪われる事に対する執着を無くし、過去に執着することなく今を受け入れ、そして未来に起こることを掴むのに充分なだけ身を軽くする事が出来るなら、経営も人生も楽勝でしょうと。。深い学びでした。