先日のオスカーでLupita Nyong’o のスピーチ見ました?
私はYoutubedでこれみて泣きましたよ。私達ってどうしてみんな、自分の至らないところ、間違ってるところ、美しくないところに注目して、それを直そうとしてしまうのか。
これね、たとえば、キネシのセッションをやってる時でも勘違いしやすい一番のポイントだと思ったので、声を大にして言いたい。
西洋医学、学校教育、親のしつけ、社会の規律、法律、校則、社則。。。病気や間違っているところを指摘して、それを治す・・・。というパターンで今までずっと生きてきちゃったから、この大きな勘違いをしてしまってるだけなんですね。
今までに何度か、クラスやセッションにいらした方から聞く言葉なのですが、『私はここが足りない、あそこがダメ、こんな問題もあるのです。いったい後何回セッションに通ったり、努力をすればこの全ての問題から卒業して晴れやかな人生が送れるのでしょうか?』・・。
それにはいつも、即答してます。
『今』
今よ今!私達は問題を克服するために生まれてきたんじゃない。どんな状況にいても、自分のバランスを保って生きることを経験しに、この世の中に生まれてきたことを想いだして欲しいのです。
いつもハッピーラッキーで、悪いこと(一般的に、気分が落ちるような出来事)が一度も起こらない人生を送ることは絶対に出来ない。
ただ、どんなネガティブな状況が起ころうと、バランスを崩さず、それを燃料に変えて楽しみながら生きていくことは絶対に出来る。
それは、気持ちを無視して、なんでもポジティブに考えることでもなく、お気楽に考えることばかりでもない。大変なことがあっても、その大変なことの中にちゃんと楽しみも生き甲斐も見つけることが出来る。
たとえば、キネシオロジーで私達が行ってることは、『バランス調整』であって、『治療』ではない。
つまり、症状、問題点、悩みどころが解決することではなくて、今どこにハマってしまってるのかに気がついて、そこから抜け出し、再びエネルギーを循環させる方向性を見つける作業。そのバランスがあまりに崩れたときに、私達のカラダは、『病気』という形で症状を出すのだと思っています。
かのエドガー・ケイシーのリーディングに「病気になる前と同じ生活に戻るために病気を治したいのなら、治らないほうがましだ」という名言が
あります。OSHOだったか、Vipassanaだったか忘れちゃったんですが、瞑想をして、ストレスだらけの毎日の生活への忍耐力がつき、能率が上がったからといって、それが何になるのか?と意味のないことに耐える力をつけるくらいなら、瞑想する意味がない。。と
このビデオにもあるように、肌の色が濃いことが問題であり、薄くなることを望むのと同じように、私達は、何か、自分の健康や、性格や、生活に問題を見つけ、それを取り去ろうと努力をしてしまうわけだけど、私達が本当に見つめなければいけないのは、
どれだけ本当の自分に近づけるかということにより、自分の心とカラダの、さらに言えば、魂の居場所を見つけ、今、そのままの状態で幸せに感じること。
だから、『これが叶ったら、幸せになれる。これが克服出来ればラクになれる。』というのは全て、幻想なのですよね。
あなたは、いつも、今、その状態で完全なのです。
そこを勘違いしてしまうと、いつまでたっても幸せは来ないのと思うのです。
目標をたてたり、成長しようとしたりするのは素晴らしいこと。でも、目標をたてたその瞬間も、それを達成しようと努力して走ってる時も、
それが達成したときも、いや、達成しなかったときも、全て貴重な人生の一瞬であり、楽しみであり、生き甲斐であるはずなのです。
バシャールが言ってた一言ですごく心を突いた表現があります。
『人生は何のためにあるのですか?』と質問者が聞いたとき、
『人生はマスタークラスだ』と即答しました。
マスタークラスって見たことありますか? 私は昔、マンハッタン・ミュージックスクール(ジュリアードの次に有名な音楽学校)の生徒達と一緒に下宿生活をしてたことがあるので、しょっちゅう見に行きました。
有名なオペラシンガーなんかが、開催するものは、そのクラスに参加するだけで、壮絶なオーディションです。
ほら、私達が長いこと待って、選ばれて、やっとこの世の中に生まれてきたみたいに!
そして、選ばれた生徒達は、みんなそのステージで歌うために、猛練習をします。あの!憧れのマスターの前で歌う!その瞬間に、完璧な自分を見せられるように、最高の自分を演出出来るように!たぶん、熟れたシンガー達が本番の舞台で歌うより、ずっとずっと緊張するし、必死なのです。
でもあれ、ちょっとまって。これは本当はマスタークラスなんです。本当に大切なことは、自分がどれだけ完璧であるかということより、自分がどれだけ自分の才能を延ばせるか、失敗したってそれを教えてもらえばいいだけ。完璧に出来たら、賞賛はもらえても、たいしたアドバイスは受けられないかもしれない。
いったい何のためにマスタークラスに参加するのか・・・・。というところですよね
そう。私達はいったい何のために生きていて、なんのために、病気も、嫌なことも体験しているのか。
自分の今、状態をそのまま認められとき、不思議なくらい色々な症状が取れていきます。
美しくなるために美白を重ねるのか、自分のそのままの美しさを愛でてあげるのか。
つい最近、面白いこと発見したんです。
私は小学生のころから、ずーーーと自分のウエストが太いことを悩んでました。
いろーんな努力をしたけど、ここだけは痩せない! もうこれは体型だから、仕方ないものと。。。
去年一年で、気がついたら、ウエストが10センチも細くなってたんです。体重はそのまんま。
あれ?気がついてみたら、便秘もなくなってたし、消化不良はどこにいったのやら? 本当の意味で、自分のありのままの姿(容姿だけでなく、生き方や
生活全て)が美しいなって思えるようになったのも、その頃からのような気がします。
なんか、いつも大切な話を、腹の脂肪の話で閉めくくって、レベル低いなぁと思いつつ 笑・・・。そんな自分もま、いっか。