

コミットメントはあなたを自由にする!ってコンセプトをお聞きになったことがありますか?
例えば結婚ってのは、人生で最大のコミットメント?かと思うんですが、
ね、ほら、結婚はあなたを自由にしてるでしょう?
↑ こういう意地悪を言うのはちょっと止めますので、しばし、おつきあいくださいね。
この1週間、しばらくサボってたヨガを再開したんです。いや、まったくやらなかったわけじゃないです。ちょっと前までは、少なくとも週に2-3回は通ってたんですが、私の大好きなKarinさん(上の写真のおうつくしーーーヨギ)がこの半年、ご自分のトレーニングと、自国南アフリカに長期戻られたため、ヨガ浪人してたんです。
ある日は近くのセンター、ある日はちょっと遠くのヨガスタジオ・・・そうしてるうちに週に2度が1度になり・・・行かない週も出てきたり・・いいや家でやれば・・とビデオなんかでやるんだけど、電話かかってきて中断されたり・・。ま。いいかとサボったり。
うーん。このままでは・・・と思っていたところにKarinさんがアフリカから帰ってきていきなりメッセージが。『来月から毎日朝一だから。しかも毎日通えるチケットも販売してるから、もう言い訳はできないわよ』と。
ああまるでこの数ヶ月の私のサボりを見透かしたようなこのお誘いに、これは天の応援(あるいは警告・・・)にちがいない!と毎日通うことにしました。
毎日通うのって、通う前とかは、『うっっっっっわー。そんなこと出来るんだろうか』ってかなり不安になる。
だってすごいコミットメントですよね。フリーランスで時間規制なしのマウイの私の生活ったら・・。
でも、一旦始めちゃうと、そっちの方がラク・・・ってのわかります?
しかも朝一ってのが非常にラク。
なぜかというと、『迷わない』からなのです。
実は私たちの人生で、ものすごーーーーーーーーく、私たちの成長や行く手を阻んでいるのが、
この『迷い』
なんですよね。
今日は行こうか、行くまいか・・。もしかしたら変わりに腹筋15分でいいのかも・・・。いや、散歩にしておくか。
とか迷ってる暇もなく、『行く』って決めるとかえって他のことに集中できるんです。
仕事も一緒。フリーランスとか、自分のビジネスほど、『迷い』が邪魔をすることはない。
9時5時で働く・・・って決めた方がある意味、とってもラク。強制されれば、迷う必要もない。
何人ものガールフレンドが居ると楽しいと思ってても、一人に決めた方がずっとラク。
でももちろん、それには一種の辛さもつきまとうんですね。
Karinさんのヨガってけっこう厳しいので、もう初めの数日は筋肉痛で、座るのも立つのもかなり辛い・・・。
でもね、その前まで、私はバカみたいにコンピュータの前で何時間も作業しっぱなしの1ヶ月を過ごしていたから、どんどん背中が痛くなって、カラダがガチガチになってしまってたんですね。
でも、どうでしょう? 1週間終わってみると、その痛みが見事に消えて、筋肉痛もすっかり消えて、ほんの数日前まで辛かったポーズも、足つりそうになってた動きも、どんどんラクになっていく。
ヨガに行く・・・のもコミットメントだけど、ヨガのポーズっ自体もすごいコミットメントですよ。一つひとつ。手の先から、立ち方、いや、足の裏の筋肉まで指示通りに、時間通りに、型通りに決めるわけです。ものすごいインテンション(意思と)アテンション(注意)を払って集中しまくりの1時間半。
少しでも注意を逸らすとバランスを崩して倒れたり、いい加減にやったり、無理をすると怪我をしたりします。
コミットメントっていうのは、相手やものごとと、真剣にかかわっていこうする決意であって、束縛とは似たようで、180度違うもの・・・。
↑ もしこれがわかってるなら、あと読む必要ないです。
コミットメントて自分の意思なんですよ。『誰かとの』約束でもなく、『何かとの』誓いでもなく、『何所か』との契約でもない。もっともっと純粋で自発的なもの。『自分自身と向き合います』という宣言。神との約束。魂の宣言。神聖で純粋で、掛けがえがないものなんです。
その対象が、人であったり、ヨガであったり、仕事であったり。計画であったり。
そこを勘違いすると、人や状況を責め続ける人生となります。
例えばですよ。私がこれから1ヶ月間、週6日でヨガに通います。と決めました。これは自分自身との誓い以外のナニモノでもないのですが、その対象ある『行く場所』にも『先生』にも『世間』にも『コミットします』と宣言し、お金も払います。(⇦ お金が高ければ高いほど強いとも言える)
これも素晴らしい。
お金も人の証人も、自分のコミットメントをさらに根強くしてくれるから、すごく良いんです。結婚も。(⇦しつこい)
でももしですよ。そのヨガの先生が、自分が思った人とは違って、無理なポーズを強いたり、カラダが悲鳴をあげてるのに鞭打つような相手だったとします。1週間を終えたところで、怪我をしてしまいました。
さて、あなたが、このクラスを続けることは誠実なんでしょうか?
ま、これは明らかですよね。
暴力旦那に殴られながらも、『誓いは誓いよ・・・・。』っていう人。現代の常識ではあまりいないと思います。
じゃあ、こんな例はどうですか? そのヨガの先生は、自分が思ってるのとは、ぜんぜん違うタイプの生徒を対象にしていたとします。超アドバンスなアクロバットヨガ。でもあなたも、先生も、その違いに気付かず、勘違いでコミットしてしまいました。(あるいは、あなたが絶対にコミットしてくれと言ったので、先生もまあ、やってみるかと思いました。)
先生は、『無理してはダメですよ。自分のペースで・・・』とちゃんと指導してたにもかかわらず、あなたは、なんとかその先生のクラスに認められたくて、見栄をはって無理なポーズをして怪我をし続けています。でも、あなたは『絶対頑張る』と包帯を巻きながらクラスに通い続けます・・・。
それを見兼ねた先生は、『あなたは明日からもうクラスに来ない方がいいわ』と言います。
さてこれは彼女がひどい人なんでしょうか・・・・?
本当の意味での『コミットメント』というのは、どんな契約であれ、それはあなたを自由にしていくものなんです。
自由というのは、自分らしくあること。自分のカラダに、心に、魂に、栄養が与えられること。そして、相手にも!!
私はそれがタントラのコミットメントだと思ってます。
ヨガとタントラはまったく逆のアプローチだと言われてます。ヨガは規制、戦士、規律・・・すべてを正しい方向へと治していくのです。
一方タントラは、すべてにサレンダーし、良いも悪いもなく、最高の幸せを味わい、それをパワーにしていく・・・
でも、その両方がたどり着くところ・・・それはフリーダム。本当の自分。宇宙最大の『悦び』の世界。愛。
私にとって、『タントラ』というのは、最高の至福をまず味わい、覚えさせ、そこに戻りたいと導いてくれるもの。
『ヨガ』というのは、最高に届かない自分をシビアに見つめながらも、卑下せず、そこに到達するよう正してくれるもの。
人生にサレンダーすることは本当に必要。
でもサレンダーしっぱなしだと、一生死骸のポーズ(ジャバッサナー)。
正しい・・・ことを実行するのも大切。
でもそれをやらない自分も相手もジャッジし始めたらまさに牢獄人生・・・。かな。
人間は、完成されてないから人間。人生楽しみながら学ぶか、責めながら生きるかは
選択できるんですよね。
今日、やっと1週間のコミットメントが達成出来て、シャバッサナーをしてるとき
ふと思い出した。
マウイに来た時・・・すべてが自由で美しくて、最高・・・な筈だし、運命を信じてた。
でも、時折、めちゃめちゃ不安になりました。
『家庭』も『組織』も「仕事も」ぜーーーんぶ手放しちゃって、なんで一人でここに居るのかと
思い始めると、不安がとてつもなく襲ってきた。
そんな時、ヨガだけが救いだった。カラダめっちゃ硬くて、40後半で始めたぜんぜんイケテないヨガだったけど。
毎日毎日通えるところがあるってことだけでも、私の心をどんどんラクにしてくれた。
もちろんその100万倍くらいの恩恵を毎日受けたけど。
ヨガへの感謝の気持ちがいっぱいになった。
**ここでいうヨガとは、(アサナ)ポーズのことで、タントラ・・・もヨガですが、倭のタントラを含む、タントラという概念のことを言っています。