裸の話題が続いたので、せっかくだから、もうひとつ!
ハービン・ホット・スプリングはサンフランシスコから、車で二時間くらいの山奥にあるリトリートセンター。
一番近い街はミドルダウンと言って、レストランが4−5軒、銀行が一軒、スーパーが一軒あるだけの、かなり小さな街。
でも、その街から5分くらい山に向かって走って行くと、突然、このアダムとイブのエデンの園が現れるんです。
ここには、世界中からの自由と解放を求める観光客が集まっていて、アメリカで一番空気のキレイな場所とも言われてるけど、
なんていうのか、本当に時間と空間が停まっていて、美しい木々と花が咲き乱れ、レストランも売店も超美味しい自然食。中央にはプールと温泉があって、自然を愛する人々日光浴をしている。ヨガやスピリチュアルなイベントが繰り広げられ、キャンプをするなり、部屋をとるなり、自分の好きな方式で泊まる。入場料は30ドルちょいかな。
こんな感じです。
何がアダムとイブ・・・って? そう。みんな裸なんです。というか、温泉が男女混浴だから、ここでは別に水着を着ようが、服を着ようが、本人の自由ですが、日本の温泉で、水着を来てる人が1人も居ないように、ここでも殆どの人は裸です。プールも裸。デッキも裸。
その延長で、キャンプ場への移動とかも、裸で、リュック背負ってる人とかも居ますけど、ま、大抵の人は、お風呂以外では服来てます。
私はこのハービンに去年の10月に始めて来たんですが、Shinzoさんがここで20年くらいShiatsuのワークショップをやっているので、それに参加させて頂いたのがきっかけ。でも、ここのお風呂の素晴らしさ(日本人の清潔さのレベルで言えば、もしかすると、ちょっと・・かもだけど)
お湯の質が素晴らしいのと、なんていったって、男も女も関係なくみんなで楽しめる所。ここはWatsu(Water Shiatsu)の発祥地でもあるのですが、温水プールでは、沢山のカップルが、裸で彼、彼女に、抱かれながらゆらゆらと水の中でヒーリング。美しい夜空と木々を眺めながら、ものすごくロマンチックな温泉です。
Shiatsuのクラスは、さすがに皆さん、服を来ています。でも、受講者は全員、雑魚寝か、外でキャンプ。キッチンもついてるその、クラスルームでは、時にはみんなでご飯つくって一緒に食べたり、シャーマンのおばあちゃんが訪れて、メディソン・ウイールを行ったり。
クラスの中では、あのShinzoさんのマッサージテクニックをそのまま伝授。そして、彼のパッションでもある、五行を自分たちの夢や、性格や、クリニック経験として、皆で理解し、人間が、いかに自然の、そして宇宙の一部であり、自分に起っている全てのことは、自然の流れであることを、色いろな角度から学べる。私は、あまりに面白くて、もう二回もリピートしてます。
例えば、太陽は陽。大地は陰。 陽は男 陰は女。 ファーザー・サン。 と マザー・アース って言いますよね?
それは、たとえ話でもこじつけでもなんでもなくて、陽の経絡は全て、上から下に流れ、陰の経絡は、全て下から上に流れる。カラダの痛みと経絡や経穴の意味がすごく連動してる。
夢の話をしていると、その日に見た夢と、今カラダに出ている痛みや湿疹が関連経絡上に、まるでラインが出来たように現れる。 それを見た時間帯などが、経絡や、臓器上の時間と一致する。 頭での学びじゃない。自分のカラダを見て、セオリーがわかっちゃう。
Shiatsuを通して、刺激された反応で、自分のカラダに起る事が、夢として、カラダの反応として、精神状態として・・・。その現れ方で、自分を学ぶ。
私は、もともとマッサージとかにはまーーーーったく興味がなかったのだけど、そのカラダの仕組みを知るのが面白くて、おもしろくて。知らないうちに、マッサージも結構うまくなっちゃいましたよ。
そしてね、Shinzo流Shiatsuとは、決して相手の痛みや悪い所を否定しない。 それを包み込み、その人が痛みを超えた、次の目標に注目出来るような希望を与える。
私にしてみれば、IHとまったく同じコンセプトで、行われるわけなんです。
でも、今日書きたかったのはそこじゃない。怒りの利用法について。
Shinzoさんは、いつも、『怒りは決して悪いものではない』『抑えたり、いけないものだと思う必要はない』って言ってます。でもねえ。抑えないで爆発したところで、絶対にプラスにはならないし、そんな言葉は今までに何回も、色々なところで聞いた事がある。『その怒りを利用しろと』
でも、私の中で、怒りを利用・・・ねえ。
確かに怒りはすごい行動力ですよね。怒って人を殴る、罵倒する。いや・・下手したら殺人まで。
人間は、怒ったときに、普段到底出来ないような、すごいことをやってしまったりします。そう。気がついた事があります。女性の犯す殺人って、殆どの場合が裏切られた怒り。怒りの感情って、確かにものすごい威力。
でも、それをどうやって利用するのか? 私にはちっともピンと来ませんでした。
Shinzoさんいわく、怒りというのは、Wood(木)の要素。 木というのは、とにかく芯が強い。どんな困難があっても、コンクリートを破ってでも、自分の意志を貫き、成長を続ける。ウンチでさえ肥やしにして、育つ。公害だらけの空気でも、美しい酸素に変える。
つまり、どんなネガティブに思えるような出来事でも、ポジティブなものに変えてしまうのが、木の素晴らしいところなのだそうです。
つまり、木の性質をもった人が、健康で幸せなとき、その怒りを見事に肥やしに変えることが出来る。彼いわく、『その怒りを、人やモノにぶつけても何もならない。過去のパターンを破ることに使え!!!と。
私の中で、これが一番『なるほどーーーーー!!!』と思った答えだったんです。
つまりね。私たちに起る、全てのことは、自分が播いた種なわけです。自分に何か不条理なことが起る。トラブルが起る。思ったようにモノが進まない。
そのときに『なんで私にばかり!!世の中ってヒドイ!!』って怒ろうが。
『あんたが私を不幸に陥れてるのよ!!』と旦那をなじろうが。
何の解決にもならないどころか、さらなるカルマ。つまり種まきをしていて、将来、また同じことが、もっと増長した形で起るわけです。何回でも、何十回でも何百回でも。あなたが学ぶまで。笑
全てのことは自分が播いた種。大抵のことは、この人生ですが、ときには過去生のこともある。どっちでも良い。結局は自分が過去のどこかでしたことの結果が今、現在なわけ。
そのときにその、過去のパターンを破ることに怒りを使う。
これって、私にとってはすごーーーーーーーーーい。納得の答えだったんです。↑ 彼はここまで説明しませんでしたけど。
つい最近。私にも、この自分の播いた種のカルマにハタと気がつかされた出来事がありました。もちろん。いつものパターンで、うまく行かない現状に腹を立て、その怒りを人や状況のせいだとモヤモヤしていたときです。
いやいや。ちょっと考えてみようと。瞑想に入りました。同じことで、三日間。朝、晩、夢の中。
三日目の朝の瞑想で、『あ。あっ。あああああああああ!』って思ったことがありました。
つまり、今、自分が受けていることと、まったく同じことを、私が人にしていた過去の記憶が出てきたのです。ちょっと個人的なことなんで、あまり詳しくは書けませんが。
そう。私が被害を受けてるのではなくて、私が加害者だったのです。自分が過去にしたこと。それを今違う形で人が見せてくれている。やっとやっとわかった!!
そのとき、怒りが突然原動力に変わり、怒りによって逆戻りをするのではなく、怒りによって、今まで出来ないと思っていた事を、実行する。というパワーに繋がりました。
そう。今回、たぶん産まれて始めて。怒りを過去のパターンを手放す。ということを体感出来たと思う。
この世ってすごい。宇宙って本当にすごいです。私ももうじき50才。これからの人生は、次に産まれる子(自分のことですよ)の準備期間とも思って、一生懸命生きたいなーと思うようになりました。
ほんとうにがんばるぞーーー。